講演「民藝と私」

2003年8月22日民藝夏期学校より

8.独学のすすめ

 その次に独学ということについて。柳悦孝さんが独学だったということはお話しました。独学がいいって言ったって、学校に行かなくていいの、というわけにはいかないんで、しかし要するに独学の精神というものを失っているのではないかと思います。学校教育の欠陥というのは自分で餌をとってくる、そういう力が段々なくなってしまう。野生の動物は自分で餌を獲ってこてないと死んでしまいます。ですからテレビの野生の動物のドキュメントを見ると非常になんかソワソワしてしまう、悲しい反面、彼らは偉いんだなと感心しますけれど、自分の力でもって自分の必要なものをとってくるという力、それから選択、選ぶということを我々はしなくなってしまっている。そういうことを本能的に持っているひと、一口で言うとプリミティブな人間、それが柳悦孝さんだと思います。だからこれは決して悦孝さんが野人であるとか、ブッシュマンとか、そういう粗野な人間であるとか、そういう意味ではないんです。そういうふうな力を持っている人、それは感覚がある。

 つまり自給自足の時代というのは肉体が主役でありました。肉体でもって労働しないと成り立たないわけです。ところが段々段々自給自足でなくて分業になってしまうと肉体の労働をする部分が段々なくなってしまう。そうするとその肉体が主役だった時代の記憶がなくなってしまう。肉体と感覚というものは連動している。だから肉体を動かさない、いわゆる肉体労働をしないと感覚が衰えてしまう。あるいはなくなってしまうというのが我々ではないかと思います。一つの例ですが、この会場も冷房でもって快適ですけれど、そういうものでもって、寒さ暑さに対する感覚が我々の子供の時代、一つ前の時代は皆あったわけですけれど、なくなってしまっている。

働くことを忘れた人間は不完全であると言った人がいますけれど、確かにそういうふうな不完全な人間が、地球上の全体から言えば数は少ないんですが、日本を含めたそういう技術の進んでる国では増えてきている。非常に感覚が衰えてるということは、反省しなくてはならないと思います。感覚というのは、芸術とかいろんな仕事では、感覚がないということは致命的なことなんで、非常に考えさせられることだと思いますけれど。選ぶ、自分で何をしたいかということを発見する、そういうようなことがなくなってしまうのは、忌々しき問題だと思うんです。

この独学のチャンピオンというのは、わが国では富岡鉄斎だと思います。富岡鉄斎という画家がいました。自分では画家だということは言わなかったんですが、中学 ・・・


(制作者注:ここで記録の150分テープが切れてしまい未完)


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